+ 冬のよるには +
  

 
冬の夜には

 

 

 

 

さてそろそろ床に就こうかと灯りを落とし、先に敷いておいた布団に潜り込む。普通の死神よりも布団との付き合いは長いほうだ。するりと身体を横たえると、ゆっくり目を閉じた。
が、途端にがたがたと震えだす。
氷とまではいかないが、慣れ親しんだ布団は理由が分からないほど冷えきっていたのだ。
もともと体温の低い浮竹である。手足も冷えているのが常で、冷たい布団も普段なら気にならないのだが、今夜は冷たさが身にしみる。
『これは眠れないぞ……』
身体を丸めながら、この前あった親友が近頃は燗酒だと言っていたのを思い出す。
――もう夜は冷えるでしょ?
そろそろ暖房器具を入れたほうがいいとも。
そうだなと答えた自分は、昨日同じことを言った副官を追い返してしまった。
『俺も酒でも飲むか……』
しかし普段自分で燗などしたこともないから、やり方も分からないし、食堂は静まり返っている。
『それより風呂に入り直した方が、良いんじゃないか』
食堂同様隊舎の風呂も、もう終わっている。
そんな深夜だ。
普段わがままを言わない浮竹である。夜中に湯をわかせだの、燗酒を作れだの、無理を言った所で許される身の上であることを浮竹は普段まったく忘れている。
『こんなことなら、風呂から出てすぐに布団に入れば良かったのだ』
はーっと息を吐いて、浮竹は指先を温めた。気がつかなかっただけで、季節は確実に秋から冬に移り変わっていて。原稿を書いている時は全く気にならなかったのに。
山本に贈られた直後から分かっていたが、雨乾堂は冬になると底冷えする。すきま風が吹き込む実家よりもひどい。
正直寒い。
それをだましだまし数百年。
もう一度息を吐いて、浮竹は目を閉じる。
人肌が恋しい、と思った。
あの男は若いせいなのかそれとも体質なのか、触れる肌はなめらかで驚く程熱を帯びている。添い寝してくれたらさぞかし温かいだろう。
『いかんいかん』
少しも温まならない手で、顔を覆う。
もうくるなと言ったのは自分。
ひどくうろたえていたのは自分。


「……海燕が、浮気?」
目の前に、身を固くして少し俯き気味の美しい女性がいる。
浮竹の声に小さくそれでもしっかり頷いた。
夫のことで相談したいことがあると、雨乾堂にやってきたのは都。海燕の妻だ。
「何かの、……勘違いじゃ?」
「あの人は!」
はじかれたように顔を上げて、都はまっすぐ浮竹を射抜く。心臓がばくんと脈打つ。
「隊長はご存知ないと思いますが、あの人はああみえてもてるんです。結婚しているのを知っていても言い寄ってくる女は後をたたないし、こんなふうに言いたくありませんが、適当に掻い摘んで遊んでいるんです」
「遊んでるって……」
確かに。
既婚者なのを知っていて、関係を続けている。
いや、自分の方がさきだった。結婚する前から、ずっと。
だから自分を正当化していた。
けれど浮気?遊んでいる?
自分もその女達と同じだったら?違うのは都だけだったら?
たまらなくなって都をなだめすかして帰らせると、浮竹は現世出張帰りの海燕を呼び出し「深夜にはもう来るな」と言い放った。
自分は特別だと信じていたかった。


あれからひと月ほどたつ。
『副官夫妻が離縁したという噂は流れてこないから、女達とは別れて都とやり直したということか』
別れてほしいわけではなかったが少し、少しだけ残念に思っている自分もいる。
口に出したりも態度に出したりもしないが。
ここは年の功というやつだ。
特別なのは自分ではなく都だけ。
分かっていたことだ。海燕が結婚したいと言い出した時から。

「――こんばんわ、届け物っす」
自分以外誰もいないはずの雨乾堂に、聞き覚えのありすぎる声がする。
慌てて布団から飛び起きると、灯り片手に佇む副官の姿。
思わずうっとりしてしまう、男振り(贔屓目あり)。
昼間会った時と変わらない死覇装姿に浮竹は一瞬にして上司の顔を作った。
「何かあったのか?」
「大事な仕事をふたつばかり忘れていて」
「どうしたんだ?」
「急を要するんで」
じゃあ失礼して。
海燕は灯りを床に置くと、もう片方に抱えていた物を浮竹の掛け布団の下――足元に潜り込ませた。
「何だいそれは」
「湯たんぽっすよ」
「湯たんぽ?」
「どうせ冷えても平気で原稿書いてたんでしょ。今夜はこの冬初の冷え込みって浦原の奴が言ってたんで、作って持ってきました」
このせんべい布団、いい加減新しくしましょうよ。
あと火鉢、明日絶対入れますから。
いつもの口調で、笑顔で海燕は言った。
このひと月、この副官は何も変わらなかった。いつもの声で浮竹を呼び、いつもの顔で笑った。
夜中に来るなと言った理由を聞いてくるでもなく。
何もない。
この男にとって自分は特別な存在だと信じていたかった。
でも。
いつの間にか俯いていた浮竹の手に、海燕の手が静かに重なった。
「隊長、風邪引くといけないんで、布団入ってください」
「……ああ。仕事は?」
「いいから入った」
言われるままのろのろと掛け布団を肩まであげる。海燕に言われるまでもなくぺったんこの薄い布団だ。新調したほうがいいのも分かっている。けれど愛着もある。
「じゃあ俺も失礼して」
と、海燕は畳の上にごろりと横になった。
その間も、浮竹の冷たい白い手を離さない。
「隊長が眠ったら俺の残りの仕事は終わりですから、眠ってください」
そんなこと言われても。
海燕の手は足元を温める湯たんぽのようで。この男の体温が自分を癒してくれると胸が苦しくなる。
離れがたいのは自分。
自分だけだ。
足元が温かい。ゆっくりと全身にまわっていく。
「本当は添い寝したいんすけど、隊長何かずっと怒ってるみたいだし」
「は……」
「嫌われたくないんで、我慢します」
横を向いて、薄明かりの中、視線を合わせる。
「――隊長、何怒ってんですか」
隊員から陰口を言われているらしい凶悪な垂れ目も、浮竹には優しくうつるから末期だ。
たっぷり間を取って、浮竹はひび割れた唇をひらいた。
「都が……お前が浮気をしていると」
「……俺が、浮気?」
「適当に掻い摘んで遊んでいる……んだと」
「いやいやいくらなんでもそこまでもてませんよ。俺だって立場があるし」
「……じゃあ、何もないのか……?」
「食事ぐらいには、いきましたけど」
勢いをつけて、少し温まりはじめた布団から、浮竹は再び飛び起きる。
「何かあったじゃないか!」
「そんなの何かのうちに入らないじゃないっすか!しかも昼間ですよ?俺は酒も飲んでないし肩も抱いてない!」
つられて海燕も起き上がるが、手は離さない。
「当たり前だろ!」
「当たり前じゃありませんよ。隊長はご存知ないと思いますが立場を使って悪いことする連中は大勢いますし」
「ここにもいるしな」
「隊長〜〜俺はそんな悪辣な奴らとは違いますよう」
『どうだか』
再度布団に入りなおすと、浮竹は頭まで布団をかぶった。
都の事が気になったが考え出すと朝になりそうだ。
あの賢い女が自分と夫のことを、気がついていないなんてことがあるのだろうか。
今まで考えたこともなかった自分が、どうかしていた。
「……はあ」
とても眠れそうのないので、都のことを考えるのはよす。
ぎゅう。っと、海燕が布団の上から抱きしめてきた。
布団が薄いからまわした腕の熱さえ伝わってきそうだ。
「俺のこと信じてくださいよ」
「うるさい」
「隊長」
何の解決もしていない。
いや解決しないと思う。この男の体温を欲している以上考えても徒労に終わるだろう。
ああ。厄介だ。
「腕をどけてくれ」
「ええ〜〜」
不満げに、それでも腕を元に戻す。
浮竹は布団の端をめくると、海燕を布団に誘った。
「入るか?」
「勿論」
嬉しそうに身を寄せてくる姿に浮竹はため息をこらえる。
この男には自分は特別ではないが、自分にとってこの男は特別だ。
それだけはたったひとつの真実だった。

 

おわり